『イエスは生きておられる!』
ルカによる福音書 24章5~6節
狛江教会牧師 岩 田 昌 路
「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」
(ルカによる福音書24章5~6節)
私たちは人生の途上を歩き続けています。私たちの人生には、喜びがあり、悲しみがあり、楽しみがあり、苦しみがあります。私たち人間は、一人ひとりその人ならではの人生を歩んでいます。しかし、誰の人生であっても、等しく言えることがあります。「人生には初めと終わりがある」ということです。また、「私たちの地上の生命は限りあるものである」ということでもあります。
まず、生命の初めを思い巡らすとき、私たちは、気が付いたら、この時代に、この国に、この家族に、自分の生命が与えられました。この点について、自分が選びとった生命を考えることはできないと思います。聖書は、主なる神が深い御心のもとに、私たちに生命を創造し、人生を与えて下さったことを告げています。すなわち、私たちの側からは、生命は受動態で表現されるべきものなのです。
私たちは成長するにつれて自分の人生をいかに生きるかを選び取ることができるようになります。私たちは自分の意志で生きる自由が与えられているのです。しかし、私たちがいかに生きるかを選びとる場合、私たちの人生の終わりについて思い巡らすことはとても大切です。終わりから今をとらえる生き方が決定的な意味をもっています。人生の終わりとは死のことです。死はいつか必ずやってきます。では、地上の人生の終わりは、すべての終わりなのでしょうか。死は人間にとって得体のしれないものであり、最大にして最後の敵です。しかし、聖書は、死に勝利する生き方を教えています。その根拠は、主イエス・キリストの復活の出来事にあります。
あの日、婦人たちは、十字架に死なれた主イエスの墓に向かいました。当時の墓は、洞窟のようなものであり入口には大きな石が置いてありました。ところが、その大きな石が転がされていて、お墓の中は空になっていました。婦人たちは途方に暮れました。すると、彼女たちのそばに、輝く衣を着た二人の人が現れました。冒頭の聖句は、二人の天使たちの言葉です。
婦人たちは、すでに死なれた主イエスを捜していました。しかし、天使たちは、主イエスは復活なさって、今や生きておられる方である、と告げたのです。空っぽになったお墓を見た婦人たちは途方に暮れていましたが、彼女たちはやがて復活された主イエスにお会いする喜びに導かれます。
イエスは生きておられる!主イエスは死に勝利され、死を超える真実な希望を私たちに現して下さいました。私たちは確かに死を迎えますが、それはすべての終わりではありません。主イエスが私たちを救いに導き、永遠の命に生きる者として下さったからです。私たちは主による希望のもとに有限なる生命を受けとめ、神に喜ばれる愛に満ちた生き方を選び取り、創造的に生き抜けるようになるのです。
イースターは、主イエス・キリストのご復活を喜び祝う祭典です。主イエスの復活の出来事に、主イエスの誕生の出来事と同じように、天使たちが登場してきました。天使とは、神に仕え、神の言葉を告げるメッセンジャーです。あれ以来、天使たちを見た者たちはいません。天使たちはどこへ消えたのでしょうか。次のように考えることができます。天使の告げた言葉を教会に生きる私たちが受け継いでいます。イエスは生きておられる!私たちは今、世の人々に天使たちのように告げているのです。