イースター 〜復活のいのちに生きる〜
ルカによる福音書24章1−1
狛江教会牧師 岩 田 昌 路
「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。
まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。
(ルカによる福音書 24章5b−7節)
2018年度の幕開けの日は、イースターとなりました。
この日は十字架の上で死なれた主イエス・キリストを、父なる神が復活させてくださったことを共に喜び祝う日です。
何と素晴らしいことでしょうか。
あの日、婦人たちは、朝早くに主イエスが葬られているお墓に向かいました。
十字架で死なれた主イエスのご遺体に香料を塗り手厚く葬るためです。
ところが、お墓に着くと、入口をふさぐ石がわきに転がっていてお墓の中は空っぽになっていました。
当時のお墓は洞窟のようなもので入口は大きな石でふさいでいたのです。婦人たちは途方に暮れてしまいました。
そこに輝く衣を着た二人の人が現れました。彼らは天使でした。冒頭の聖書の言葉は、婦人たちが聴いた天使の言葉です。
(主イエスは)ここにはおられない!お墓にはおられない!婦人たちは、見当違いのところに、主イエスを探し求めていたのです。
主イエスは死者の中におられるのではなく、復活して生きておられるからなのです。
しかも、このことは、主ご自身が予告されていたことの成就であるというのです。
婦人たちは、この不思議な出来事を使徒たち(主の弟子たち)に話しました。
彼らは戯言のように受けとめていましたが、ペトロだけは立ち上がってお墓へ走り、身をかがめて墓の中をのぞきました。
確かにお墓は空っぽでした。婦人たちもペトロも、大きな驚きの中で、お墓の前に立つしかありませんでした。
しかし、やがて空っぽの墓を目撃した人々の大きな驚きは、復活の主イエス・キリストに出会う大きな喜びへと変えられることになります。
イースターにおいて私たちがはっきり知るべきことがあります。それは私たちのいのちは死で終わるものではないということです。
確かに地上におけるいのちには限りがあります。私たちも必ず死を迎えるのです。しかし私たちの人生の終着駅は墓石ではありません。
死は究極の終わりではないのです。主イエスは復活させられ、今も生きておられるからです。
主イエスはご自身を信じる者たちを復活のいのちに生きる恵みへと招いてくださいます。
教会につらなる私たちはもはや死の暗闇に支配されず、復活のいのちに生かされているのです。