『天国の鍵をもつ教会』
マタイによる福音書 16章13〜19節
狛江教会牧師 岩 田 昌 路
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、
「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。
ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。
あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。
あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。
あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 (マタイによる福音書 16章13〜19節)
狛江教会は、創立60周年を迎えることができました。主の祝福と導きを深く感謝し、先達の祈りと奉仕を継承する思いを熱くさせられつつ、
教会の土台と使命を再確認し、新たな出発の時にしたいと願います。
ある日、主イエスは弟子たちに「あなたがたはわたしを何者というのか」と問われました。
ペトロは、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白しました。主はその応答をとても喜ばれ、「あなたは幸いだ。」と祝福されました。
そのあと、主イエスは、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」と言われました。この岩とは何か。
ペトロという一人の人間の上にと理解する考え方があります。ペトロを初代のローマ法王とするローマ・カトリック教会の伝統はここから生まれました。
しかしプロテスタント教会では、ペトロは主イエスに信仰を問われた弟子たちの代表であり、さらには、私たちを含めた信仰に生きる者たちの代表である
と理解いたします。教会の土台となる岩は、「イエスはメシア、生ける神の子です」という信仰告白であるということです。
しかも、十字架に死なれ、復活されたイエスを救い主と告白できることは、神の救いの御業であり、最も大きな祝福なのです。
ところで、主イエスは「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」とも言われました。教会は主イエスから天国の鍵の権能を授けられているわけです。
「地上でつなぐことは、天上でもつながれ、地上で解くことは、天上でも解かれる」とは、罪の赦しに関わる言葉です。
私たちを天におられる神とつなぎとめ、あるいは、切り離してしまう力です。
本来、私たち人間は、神に罪を赦されなければ、神の御前に立つこともできず、天の国に入ることもできません。
罪の赦しは、人間が人間に与えることのできるものではありません。神ご自身に「あなたの罪は赦された」と宣言されなければならないのです。
罪の赦しの宣言は、地上の教会に与えられた固有の使命なのです。
教会は日曜日を、主の日、または聖日と呼んで、神の御前に礼拝いたします。地上の営みに他なりません。
しかし、神の御前にあるならば、そこは神の愛のご支配がわかるところとなり、天の国の先取りとなります。
教会に生きる私たちは、天の国を仰ぐ場所として、主日礼拝を人生の中心において信仰の道を歩み続けています。
あなたはわたしを何者だと言うのか?すべての人々が聖書を通して主イエスの問いの前に立たされます。
それは、「イエスはメシア、生ける神の子です」という、まことに幸いな信仰告白への招きです。
人間の力では決して対抗できなかった罪と死の力に対して、神は勝利をもたらしてくださいました。
教会の土台は、信仰告白にあり、教会の使命は罪の赦しの宣言にあります。
新たな旅立ちをする狛江教会を、これからも、主が豊かに支え、導き、用い給わんことを!