2013年9月

『信仰はひとつ』

エフェソの信徒への手紙 4章1〜6節
狛江教会牧師 岩 田 昌 路


神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、
一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。
愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、
霊による一致を保つように努めなさい。
 (エフェソの信徒への手紙 4章1b〜3節)

聖書は、すべての人への神の招きを伝えています。神の愛の招きです。
神はあなたがその招きに応える時を待っておられます。
使徒パウロは、すでに神の招きに応えて教会に生きる人々に、
神の招きにふさわしく歩みなさいと勧めています。
そして、さらに具体的な勧めが続いているのです。
ここに記されていることは、私たち人間が自然にできることではありません。
私たちが自分の力でなしとげることができることでもありません。
最後に、霊による一致とあります。
聖霊なる神の導きのもとにあたえられる一致です。
そうであれば、私たちは聖霊なる神の導きを真剣に祈ることが
必要になるのです。霊による一致だけではないのです。
謙遜、柔和、寛容、愛、忍耐、平和、一致、これらは
すべて神にあたえられる賜物なのです。あなたを招かれる神が、
あなたがその招きにふさわしく歩むことができるように、
力をあたえてくださるのです。

さて、使徒パウロの言葉が続きます。
体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、
一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一で
あって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、
すべてのものの内におられます。(4〜6節)

ここに、「一つ」「一人」「唯一」という言葉が七回も使われています。
これは宣言として語られる言葉です。事実はこうだ。
神の御心による現実はこうだ。そういう言葉なのです。
これは、初代教会で洗礼式の執行で唱和された信仰告白であったとも
言われています。先の勧めの根拠が明らかにされるのです。

使徒パウロは、この手紙の中で、わたしたちがキリストにおいて
一つにされること、キリストは私たちの平和であり、
二つのものを一つにするということを、繰り返し語っています。
それは、私たちが一人のキリストを信じ、一つのキリストの体に
生きることへ招かれていることを、確信しているからです。

今年度の年間目標は、「一つなる教会に仕える」です。
聖書に記される、神の民・教会が一つであることは自明のことなのです。
しかし、使徒パウロは現実には、教会の不一致の問題と
戦わなければなりませんでした。もちろん、この世界全体に
人間が一つになれない問題が広がっています。
聖書は、あらゆる不一致の根底に、私たち人間の罪(的はずれ)があることを
見つめています。同時に、神が主イエス・キリストにおいて
成し遂げてくださった救いの道を見つめているのです。

使徒パウロの語る勧めと宣言は、私たちに新たな目覚めをあたえます。
創立57周年を迎える狛江教会も、神に招かれた者たちの共同体です。
私たちも神の招きにふさわしく歩むために、神の御前に真実悔い改め、
神の御心を祈り求めていきたいと心から願うものであります。